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「最後の砦」再び
カテゴリ: マスコミ
前回のエントリ「意味不明な最後の砦」について個人的にご意見を頂きました。

このエントリでは鹿島茂氏が書いた「最後の砦の陥落」という文章について私が非常に批判的に(一部感情的な反応も強いかもしれません)取り上げましたが、頂いたご意見では「この記事は実は医師を弁護してくれているのでは?」とありました。

一つの主張なり意見に対して その受け止め方は人さまざまであり、決して正答があるものではないのは承知しているつもりです。ですがご意見を頂いて、自分の受け止め方が異常なのかもしれないと悩み、またひっかかるものが出てきました。

ということで 時間をおいて何回も読み直しました。
感情的な部分をできるだけ抑え、考えてみました。
改めてですが、感想を書いておこうと思います。

で 結論から言うと

この文章からは「医師を弁護している」ものは感じない。
そしてたとえそう言う気持ちで書かれていても 
私はうれしくない。




一つのやり方として試験問題風に解釈してみましょう。

 このエッセイの著者が言いたいことを簡潔にまとめよ。



私の答
教養の「本丸」いる私はこう言いたい。
本丸を支えた医者という「砦」はもう終了だね。



そしてもう一行書きたいのですが、これについては最終的に結論は出ませんでした。
それは

日本人の教養というものに対する純粋な危機感を覚える。


なのか

自分のいる教養という本丸への危機感を覚える



なのか。このどちらかが私には判断できませんでした。


中身についてもう少し検討しておきましょう。
この文章自体において医者に対して「砦」という比喩表現を使っています。このことは著者自身は本城ないし本丸にいるという意識で書かれていることを意味するのは明らかです。この立場は文章の中で一貫しています。今風の表現で言えば、いわゆる「上から目線」と言ってもよいでしょう。

この「上から目線」の書き方には非常に違和感を感じますし、そして扱った話題がさらに教養という話題であることもとても興味深さを感じます。

他人の教養とか知性、さらには品格と言った話題を取り上げることは実に難しいものです。取り上げること自体が、自分にはそう言ったものが十分備わっている主張することに近いものがあるからです。そして声高に「自分に教養なり、品格がある」と主張するならば、それが自身の教養や品格を否定しかねない危険な話題でもあります。

危険な話題を扱うリスクいついては著者自身も知っていることでしょう。おそらくはそれを理解した上でお書きなのでしょうが、何度読み返しても、終始一貫して「上から目線」で書きつづっている印象を持ちました。鹿島氏のこの絶対的な自信はどこから来るものなのでしょうか?


一方で医師の現在置かれた状況については、比較的冷静に事実を指摘していると考えます。

医師の経済状況ですが、社会における他の職種との比較で言えば相対的には明らかに減少しています。「ヒマ」については世の中の時間の流れ自体が変化していますので、なかなか比較は困難でしょうが、追い詰められて心理的余裕は減少傾向かもしれません。ですから単純な時間でなく「楽しむ余裕」と言い換えれば「ヒマ」も減少しているのも指摘通りかもしれません。

ただ この事実を指摘したからと言って医師の立場の擁護につながっているでしょうか?

私にはとてもそうは思えません。医師の立場の正しい変化の指摘をもってしてもそこに感じられるのは「医者よ、しっかりしろ」というエールでもなく、「医者を大事にしないと、社会が壊れるよ」という啓蒙でもなく、あるとすれば自身のいる「教養という本丸」の危機感のほうが、色濃くにじみ出ているとしか思えませんでした。

またさきのエントリでも述べましたが、待合室の書籍をもってして医師の教養を測る議論に持っていくのはやはり強引すぎるでしょう。

また受験勉強ばかりしているから dull boyになるとの表現はやはりいかがなものかと考えます。偏差値で言えば最高レベルの大学に入学してそして現在も大学でも文学者として教鞭を執る自分自身に唾していることになるでしょう。あるいは自分だけは違うとでも言うのでしょうか?


あまり触れたくはありませんが、教養についても少し触れておきます。いわゆる「教養」と言われるものの高いレベルでの維持にはおそらく、金、時間的余裕、知性はある程度は必要であることには同意します。しかしすべてが揃わなければ存在し、維持していけないものでしょうか?

医師がその三つを失い、それだけで三無的に崩壊するとの表現は、必ずしもすべてが揃わない中でも自身に日々磨きをかけている方々に対していかがなものでしょうか?

「医師は教養の砦であった。
医師はさきの三項目がを失ったので教養を維持できなくなった。」
これはいわゆる「レッテルを貼る」というやり方の典型に思えます。


よって 今一度 私の結論

著者の意見は
「教養の『「本丸』いる私はこう言いたい。
本丸を支えた医者という「砦」はもう終了だね。
そして教養そのものまたは教養の本丸も危機に瀕している。」

よって
この文章からは「医師を弁護している」ものは感じない。
そしてたとえそう言う気持ちで書かれていても 
私は全然うれしくない。




それから最後に 一言書いておきます。

私のような市井の一臨床医が医学以外の意見を少しでも発表できる時代が来るとは思いませんでした。そして私は、質はともかくもこうして幾ばくかの人の目に触れる文章を書いています。私だけでなく多くの人々のこうした些細なことの積み重ねは、世の中の文化にかかわる多くのことの変化の速度を早めているのだろうと私は考えるのです。

だから きっと 教養っていうやつも 大きく変化していてなかなか捕まえられていないのかもしれないと。







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編集 / 2009.02.08 / コメント: 0 / トラックバック: 0 / PageTop↑
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