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医療における平等~結果と機会~
カテゴリ: 医療全般
 昨今の医療問題を見る限り、その問題の根源は「機会の平等」と「結果の平等」の関係にこそあるように思えてきた。

 すなわち、結果の平等を求める余りに その結果として機会の平等を損なうことになってきているというということだ。

 あまりに過度な結果の平等を求められると結果の平等を得るためにはそれなりの対象に限定せざるを得なくなる。その結果が医療人の逃散と「田舎の都会」の医療破綻である。




 妊産婦死亡率は日本は先進国諸国においてもトップの水準である。また乳幼児死亡率においても同様である。こうした状況は単に医療だけがよくなったわけではなく、日本の識字率の高さ、勤勉性、衛生状態の改善、ワクチンや母子保健政策などがかみ合って得られたものと思われる。

 それでも悪い結果が誰にも起こらないわけではなくて一定の確率で死ぬ妊婦や子供が出てくるのである。それにも関わらずすべての人が「お産では死なない」というように多くの人と同じ「結果の平等」を求めるとどうなるか。

 行動は二極化しよう。一つはより安全と考える医療機関への集中である。もう一つは結果が得られなかったときのクレームと訴訟である。

 経済状況や交通事情などが悪い頃はせめて医者にはかかれるようにとまずは「機会の平等」が尊重されてきたように思う。徐々に社会構造が変化し、さらには医療の高度化などもあって医療の質や結果が重視されるようになってきた。

 ある意味これは自然な流れかと思う。しかしながらこの動きは少々行き過ぎているのではないか?

 結果の平等はいくら求められても約束はできないのだ。死亡率1%の手術があるとしよう。100人のうち99%の人にとっては死亡率0%であり、たった1人にとっては死亡率100%なのである。これはさらに努力して減らしていかねばならないが、それにしても0にすることはできない。

 救急病院のコンビニ化(軽症患者でごったがえすなど)と過疎地と中堅医療機関の存続危機にはこうした決して得られないはずの結果の平等を過度に求めることはかなり影響があったように思える。特にどちらかというとひどい過疎ではなくある程度の市やそれに準じた地域の医療機関に危機が起きていることには影響があるように思う。

 結果の平等を求めすぎて機会の平等を殺してしまっては何もならないと思う。どちらも大切なのだ。そしてその配分は時代と地理的状況によって変わりうるものだと思う。

 是非今一度そのあたりを今の時代にあった形でよく見直していい方向へ解決していけないものかと切に思う今日この頃である。
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編集 / 2007.02.11 / コメント: 2 / トラックバック: 0 / PageTop↑
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